宗光寺の歴史

芳賀郡二宮町長沼(現真岡市長沼)。新御堂山。天台宗。別格本山。848(嘉祥元)年慈覚大師により、関東の比叡山として開基。
その後1190(建久1)年に長沼宗政が源頼朝の本願により鎌倉大御堂を遷し、新御堂を建立。
1351(観応2)年にいたり長沼宗恒が祖父宗光の菩提のために宗光寺を建立。比叡山より盛海僧正を招いて当山を中興した。
さらに「新御堂山円頓止観院宗光寺」の勅額を賜わり、以来、喜多院(川越市)、金鑚寺(埼玉県児玉郡)と並んで、
中世における関東の3大学問所として関東天台宗寺院の頂点にたった。
1591(天正19)年、下妻城主多賀谷重経の暴挙によって当山の伽藍は破壊された。
よって当山の法脈は、一時長沼より久下田の地に移り、領主水谷蟠龍の崇敬を受け寺号は新宗光寺と改められた。
1603(慶長8)年に天海大僧正は当山20世の法統を継いで、三昧流の灌室を興し、檀林を開き旧地長沼に宗光寺を再建した。
天海大僧正は、当山を復興しただけでなく、宗光寺天海として織田信長の焼打ちによって荒廃した比叡山の再興にも力を尽した。
近世を通し、関東二僧正寺の一として、また天台宗十檀林の一として隆盛を極めた。1872(明治5)年に火災により焼失。
現在の本堂は1980(昭和55)年に再建されたものである。長沼氏系譜、豊臣秀吉朱印状、天海の詩章、書簡、
宗光寺世代の僧正任官の口宣崇、などの文書がある。

嘉祥元年(848) 慈覚大師(円仁)により日枝山別当坊として開創
建久4年(1193)長沼宗政公が鎌倉より「新御堂」を移設
弘安9年(1286)長沼宗光公が、比叡山より盛海法印を迎え、宗光寺を中興
正応5年(1292)伏見天皇より「新御堂山円頓止観院宗光寺」の勅額を賜る
観応2年(1351) 長沼宗恒公「弁天堂」を建立
天正17年(1589)下妻城主多賀谷氏により堂塔が破壊される
天正19年(1591)下館城主:水谷幡龍氏の外護のもと、久下田 に新宗光寺(現:全水寺)を建立
慶長8年(1603) 天海法印、新宗光寺に入山し宗光寺の二十世住職となる
慶長14年(1609) 天海僧正により、長沼に宗光寺を再興
天保3年(1832) 大門(総門)・鐘楼の新築
明治5年(1872)火災により本堂・庫裏など焼失
昭和28年(1953) 鐘楼の改築及び、梵鐘を再鋳
昭和30年(1955)参道敷石工事完了。

天台宗開創1,100年記念法要
昭和56年(1981)本堂を新築。御親教
平成4年(1992)客殿を新築。天海大僧正350回忌法要
平成22年(2010)書院の復元工事竣工
平成25年(2013)薬師十二神将像修復。
慈覚大師1,150年御遠忌法要。

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